四日市市八千代台で設計事務所を営む南野哲志さん。手がけるのは主に住宅の設計と、耐震診断や補強設計です。
一方で、貨物鉄道博物館の運営に20年以上関わり、四日市歴史の研究まで行っています。

設計、博物館、歴史……なぜこれだけ多くのことに関わっているのか?
その理由やルーツをうかがいました!
南野哲志(なんの さとし)|南野クラフト建築設計室代表
三重県立四日市南高等学校、大阪芸術大学建築学科卒。四日市市八千代台で一般住宅の設計と耐震診断・補強設計を手がけ、建築模型の製作も請け負う。三岐鉄道三岐線丹生川駅前にある貨物鉄道博物館の常務理事も務め、三岐鉄道の研究は1980年代から続けている。
通学路にはいつも三岐鉄道が走っていた

私が生まれ育ったのは、三岐鉄道の沿線です。小学校も中学校も沿線にありましたから、通学の途中で毎日、電車を見ていました。
父が三岐鉄道に勤めていたこともあり、鉄道は常に身近な存在でした。
売っていないなら自分で作る!
子どもの頃から夢中になっていたのは、鉄道模型です。ところが、三岐鉄道はマイナーすぎて市販の模型はありません。
「存在しないのなら、自分で作るしかない!」現存する車両であれば実物を測り、すでに残っていない車両は資料から形を想定して起こしていく。調べながら、ひとつずつ形にしていく作業です。

そうやって作ったものをコンペに出すようになり、賞をいただくようになりました。もう何年も鉄道模型は作れていませんが、目標は三岐鉄道の歴史に登場した車両を全部作ることです。
選んだのは「建築・設計」の道
進学先に選んだのは、大阪芸術大学の建築学科です。建築の道に進んだのも自然な流れだったと思います。
模型好きが高じて、大学では建築模型も手がけるようになりました。

その後、設計事務所に就職しました。鉄道の仕事に就いたわけではありませんが、私の中では模型も設計もずっとひと続きです。
月300時間働いていた会社員時代
最初に勤めた事務所は、正直なところよくありませんでした。建築関係は厳しい業界ですが、その中でも特別だったと思います。
朝8時ごろに出勤して、帰るのは夜中の12時半くらい……月に300時間ほど働いていました。
休みも年間で30日ほどしかなく、日曜日も当たり前に出勤です。
ずっと仕事をしていてテレビを見ていませんから、世の中のことがわからなくなりました。
22歳から27歳までの5年間、一緒に働いていた仲間の中には身体を悪くした人もいましたが、私自身は幸い体を壊さずに済みました。
独立して、自分の道を開き始めました

ブラックな職場を辞めた後は、先輩の設計事務所を数年手伝わせていただき、その後に自分の設計事務所として「南野クラフト建築設計室」を開きました。
自分でやってみると、それはそれで大変です。仕事は自分で取ってこなければいけませんし、責任も伴います。
ただ、時間の使い方は自分で決められるようになったのは嬉しかったです。

独立からしばらくして、貨物鉄道博物館の準備も始まりました。オープンしたのは2003年。作ったのは別の方ですが、僕も創立からのメンバーです。
そこから20年以上を経て、今は常務理事として中心にいます。会社員時代だったら、仕事と博物館の両立なんて絶対に無理でしたね。
求められる仕事は、時代とともに変わります
設計事務所ではさまざまな建築物を手がけますが、私が主にやってきたのは一般の戸建て住宅です。大工さんや工務店さんから依頼をいただくこともあれば、お客さまから直接ご相談いただくこともあります。
過去には、BOSCO設計事務所との共同で三岐鉄道近鉄富田駅のクジラ型の外観をデザインさせていただきました。


ここ数年で建築費が高騰し、以前なら4000万円台で建てられた家が、5000万~6000万になっています。国の基準も厳しくなって、2階建てを建てるのがものすごく難しくなりました。その影響もあってか、うちも最近は新築の仕事は全然していないんです。 代わりに増えたのが耐震の仕事で、古い建物の診断や補強を行っています。

とはいえ、求められるものは変わっても、住まいと向き合う仕事であることに変わりはありません。
いつの間にか夢中になっていた四日市の歴史研究

設計の仕事とは別に、私は地域の歴史について研究したり、資料を集めたりしています。
もともと歴史が好きだったわけではなく、子どものころはまったく興味がありませんでした。きっかけは貨物鉄道博物館です。三岐鉄道のことは昔から知っていましたが、そういえば貨物のことはあまり知らなかったんです。
博物館の運営に携わり、人に解説をする立場になったので勉強しなければなりません。調べても情報が見つからないときは、研究会や博物館に来てくださる研究員の方に教えていただきました。
そうやって、三岐鉄道を研究しようとすると、結局、町を研究しないといけない。周辺地域を調べるうちに、絵はがきや古い写真を収集するようになりました。15年ほどかけて集めた数は約2000点ほどになっています。
昔は今みたいに手軽に写真を撮れませんが、当時の風景は絵はがきで残っているんです。四日市祭の様子や、戦争で焼けてしまった建物。集め出すと、限りなく出てきます。
昔の絵はがきと同じ場所で、今を撮る
これからやってみたいと思っているのは、四日市における昔と今の比較です。
手元にある戦前の絵はがきと同じ場所に立って、今はどうなっているのかを撮影していきたい。


そして、できれば集めた歴史資料はどこかで展示をして、多くの方に見てもらいたいですね。
行政や観光協会の方がやってくださってもいいですし、個人で活動されているる誰かがやってくれても面白いんじゃないかなと思っています。まだ整理しきれていないものもありますが、声をかけていただければ探して用意しますよ。
四日市は、調べれば調べるほど面白い町です。戦争で焼けたとはいえ、古いものが意外と残っていて、長い歴史の痕跡が現代としっかりつながっているのです。例えば、近鉄の昔のルートをたどって歩いてみると、ここに線路があったのかと見えてきます。
収集資料は、みなさんに活用いただいて初めて価値が出るものだと思っています。 僕の活動が、少しでも地域に興味を持っていただくきっかけになると嬉しいです。

なお、南野さんは菰野町の「珈琲屋 真戸運永」さんも設計されています!
外観も店内もオシャレで、素敵な空間でおいしい珈琲が楽しめますよ!


「珈琲屋 真戸運永」の詳細は、下記の関連記事で確認できます。