戸谷ふみひこさんは、薬剤師として約15年間、地域の健康を支えてきました。
2026年には会社を辞めて、現在は地元・四日市で政治活動に取り組んでいます。
なぜ長年続けてきた仕事を離れ、政治の世界へ飛び込んだのでしょうか?
その背景には、これまでの仕事や地域との関わりの中で生まれた、いくつかの転機がありました。
今回は、薬剤師としての歩みから政治活動を始めた理由、そしてこれからの四日市への想いについて、戸谷さんに伺いました。
| プロフィール 戸谷ふみひこ(とや ふみひこ)/1984年生まれ、三重県四日市市在住 元薬剤師。製薬会社でMRを経験後、三重県・愛知県の調剤薬局に約15年勤務。うち約10年を管理薬剤師として務める。研修認定薬剤師、認定実務実習指導薬剤師。2026年に会社を退職し、現在は四日市市内で政治活動を行っている。 |
薬剤師として、人と向き合ってきた会社員時代
薬剤師と聞くと単に薬を渡す人というイメージを持たれがちですが、実際は薬局に来られない方のところへ、こちらから出向くこともあります。一人暮らしで認知症のある方が薬を飲み間違えないように家までカレンダーをセットしに行ったり、飲めていない薬を持ち帰って調整したりする。これが在宅、居宅と呼ばれる仕事です。
私は地域のかかりつけ薬剤師として、最後まで自分らしく人生を全うしたいという方のご自宅に伺い、終末期のフォローもしてきました。その中で、人が亡くなる瞬間にも何度も立ち会っています。
家族をきっかけに意識し始めた、新しい挑戦

「なぜ薬剤師という安定した仕事を辞めてまで政界に進もうと思ったのか?不安はないのか?」って、みんなに聞かれますよ。
もちろん不安がないといえば嘘になりますが、後悔はありません。
志した理由は複合的で、世の中の情勢の変化であったり、地域への想いなど色々ですが、特に大きかったのは家族にまつわる出来事ですね。
我が子と向き合える働き方を
ある年のクリスマス、子どもが倒れて入院したという連絡が入りました。すぐに帰宅しようと思いましたが、当時の自分は薬局の管理職です。その場を離れれば多くの患者さんに影響が出ると考え、そのまま会社に残りました。
すべての業務を終えて家に帰ると、一番上の子だけが悲しそうにポツンとしていました。その光景を見て、親として選択を誤ったと感じました。
働いてお金を稼ぎ、患者さんを守り、多くの人を幸せにしている。そう思っていたのに、一番身近な家族には目を向けられていなかったんじゃないか。別の働き方もあるんじゃないかと考え始めたのは、この頃からです。
父を見送ってからの残りの時間
もうひとつ、大きな出来事がありました。父が亡くなったことです。
これまで患者さんの最期には何度も立ち会ってきましたが、それでも自分の親を見送るのは大きなショックでした。「人はいつか死ぬ」という当たり前のことを、あらためて実感したんです。
闘病中の父を支えてくれたのは、地域の方々でした……本当にありがたかったですね。
一方で、これから少子化が進めば、地域で支え合う人そのものが減っていきます。父が受けたような支えを、次の世代も受けられるとは限りません。そう考えると、少子化は決して遠い話ではなく、自分たちの暮らしに直結する問題だと感じました。
父を見送ったことで、残りの人生をどう使うのかを本気で考えるようになりました。
子どもたちを受け入れる側の土台をつくる
政治家を目指そうと思ったきっかけのひとつは、地域の未来を考えてのことでした。
もし自分の子どもが社会に出たとき、困ったときに支えてもらえる場所がなかったら……そう考えると、同じように支援を必要としている子どもは世の中にたくさんいるんだと気づきました。
困ったときに受け入れてもらえる社会の土台をつくるのが、我が子にとっても、地域の子どもたちにとっても最適解なんじゃないかと思ったんです。
そのうえで、自分がやるべきことは政治だと感じました。
議員の仕事は、市民の声を政策に変えてまちづくりを進めること。真剣に働いて結果を出せば、まわりまわって家族のためにもなると思っています。
バックボーンのない人間でも挑戦できると示したい

そうして長く勤めた薬局を辞めて、政治の世界に飛び込みました。
今はホームページで活動報告を発信しながら、声をかけてくださる方のご自宅を訪ねて、お話を伺っています。
現在は無所属で活動していますが、地盤も看板もない人間にとって、高い壁を感じることもあります。
それでも、特別なバックボーンがなくても政治に挑戦できる。そのことを、まずは自分自身の活動を通じて伝えていきたいと思っています。こんなやつでも挑戦できるんだと知ってもらい、同じように一歩を踏み出す人が増えればうれしいですね。
まだまだ活動を開始したばかりですが、支援の輪が少しずつ広がっているのを感じます。数字に表れる成果ではありませんが、それが今の自分にとって一番の励みになっています。
支援者の姿を見て、妻の姿勢が変わった
会社員時代から、妻には「将来、政治をやりたい」と何度か話していました。ただ、てっきり冗談だと思われていたようで実際に「会社を辞める!」と伝えたときは、かなり驚いていました。
妻が私の事務所に来るようになってからも、しばらくは「前向きには手伝えない」という姿勢でした。
そんな妻が変わったのは、支援してくださる方々の姿を見てからです。驚くほど親身になって関わってくれる人たちを見て、「そこまでしてくれる人がいるのに、自分も関わらないわけにはいかないな」と思うようになったそうです。
今では、司法書士の仕事、家事、育児をこなしながら、僕の活動も手伝ってくれています。本当に頭が上がりません。
妻から見ると、僕は感情がすぐ表情に出るタイプらしいです。落ち込んだときも一人でこっそり沈むのではなく、一緒にいるときに堂々と落ち込むので、すぐにわかると言われます。
それでも普段は明るくて優しそうに見えるというのが、僕の印象みたいですね。
変わり続ける四日市を子どもたちに渡したい

四日市は、産業も自然も文化もそろった暮らしやすい街です。全国を見渡しても、これは本当に珍しいことだと思います。
以前に四日市空襲について語り部の方が朗読する会があり、娘と一緒に聞きに行きました。今の本町プラザのあたりも、かつては大きな被害を受けたそうです。そこから、四日市ぜんそくの時期も乗り越えて今のように暮らしやすい街になったのは、毎日少しずつ変化を重ねてきたからなんだと思います。今この瞬間も、同じように変わり続けているはずです。
大事なのは、その変化が正しい方向に向いているかどうか……
今の子どもたちや、さらに下の世代が、自分たちと同じように働いて、同じだけの対価や時間を得られる社会が続くのか? 私はそこが気になっています。
変わり続けるこの街で、私のこれからの人生は子どもたちの未来につなげるバトンとして使いたいと思っています。
参考:戸谷ふみひこ公式サイト